
本内ファミリーとは ペンション開業からのつきあい。 丸太、ウッディー、暖炉、手作りとか、こんなミルキーハウスのコンセプトが共感を持ってもらえたのか、飲み交わしながら スキーやアウトドアを深夜遅くまで語り合った。 旦那さんは、建設のことが詳しいので、セルフビルドの話が弾んだ。 気に入った家に出会えた喜びを伝えてくださった。
本内サン夫婦は支笏湖小学校のOB達だと云うことで、都会に住む田舎人みたいな感じか? アウトドアーが好きで手作りに共感 旦那が作った手作りカヌーは、プロ級の仕上がり。(と聞いたョ)




アンヌプリで行われた、ペンション対抗の スキーフェスティバルに ミルキーハウスのAチームとして出場、優勝を争った。
夏場でも、本内サンの得意なテニス、マラソンの話題に巻き込まれていった。 成長する子供達も一緒にスポーツの大会に参加して楽しそう、スポーツでつながるファミリーに影響を受ける。
娘さんの大学があった沖縄のマラソン大会をはじめ、全国のマラソン大会にも転戦という、走れるときに走ってみようと洞爺湖マラソンの勧めにのり さっそく参加申し込んでしまった。




ニセコマラソンにも毎年参戦、終了後は、ミルキーハウスで、奥さん祝勝会 旦那は反省会。
ニセコの農道、坂道で鍛える。 深夜のランニング。
洞爺湖マラソン、ハーフマラソンにデビュー 大沼マラソン
札幌ロードレース(北海道で年間最後のハーフマラソン 豊平川沿いにのコースで10月下旬に行われる)
朝、6時半にニセコを出発したけど、車のガソリンが、全然入ってないことにビックリ、給油所もまだ開いていし途中
で給油待ち、真駒内オープンスタジアムの駐車場は満車、駐車場所探しに手間どり、あたふた、、、
マラソンのスタート時間ににかろうじて、間に合ったものの、さんざんなコンディションだった。
走り始めても、周りに遅れないように走ってたらペースが速い。
苦しくなって、ドンドン遅れていくし、どうなるモンかと思って黙々と走る。
豊平川をドンドンくだって、ススキノ、大通公園、東一条橋で折り返し、この頃は完全に
バテバテで、きれいな娘見つけたら、何とか付いて行こうと頑張ってた。 でも、15km 付近から、周りの選手が、みんなバテバテになってきて、俄然元気が出た。ペースも上がってきたよ。
ニセコの山坂で走ってた甲斐があって、ラストスパート、残り2 km からは、ごぼ
う抜きの快走! 紅葉美しい真駒内の公園に最後のダッシュで飛び込みました。
1時間57分、去年より、1分早かった。
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週末といえば 30~40人でスキーの団体予約が何件かぎっしり入ってる。 週末は、部屋のやりくりが大変で というのが1980年度のスキー事情だった。
スキーの団体予約が多かったこの頃、なかでも特別だったのは、札幌の中央卸売市場の卸売業者の団体さん。 仲買人ごとに野菜や果物がケース単位で差し入れられ チェックインとともに玄関は青果のダンボールの山。 グレープフルーツ、オレンジ、ほうれん草、長いも,,, これどう使おうか?



最初は、わがままな団体サンで 振り回された。 食事時間には遅れてバラバラ、消灯時間無視、チェックアウト時間なし、同宿者気にせず
夕食時間には帰ってこない、まだ滑ってる。 のりがよく、飲み会が延々と続いていく。朝食後、荷物をそのままにしてスキーに行ってしまい、掃除とかベッドメイクできない。 貸し切りじゃないのに、持ち込みのお酒・料理、厨房まで入り込んで来る。
しかし、個々につきあえば、みんな、切れのいいさっぱりした好漢。 なるほど、市場のとり引きの感じだ。 ちょっと常識外れしただけの、庶民的な活きのいいお兄さん、姉さんの集まりだとしった。
お酒 飲み物の持ち込みが凄い、食卓ではビールだけ注文受けるが あとは、全部持ち込み、フルーツ持ち込み、厨房でフルートカットのデモストレーション
深夜まで騒いで いくら遅く寝ても早起きする。 早朝、4時ごろから起き出して、朝食の準備に出て行っても、すでにホールを占拠されいた。 さすが「早起き」は中央市場のDNAだ。

私が33歳の時、3月に妻と結婚した。 結婚のうわさをつけて、これはめでたいと、4月の休館中の夜、突然やってこられ、泊まっていった。
たまたま妻が不在だったが、急きょ私を囲んで結婚祝賀パーティを開いて祝ってくれた!?




中央市場の皆さんを誘って、夏に尻別川で、いかだ下りを行った。
このグループのなかの広瀬ファミリーは今でも永いつきあいをいただいている。広瀬さんは、青果店をやってられて、気が若々しく夫婦でランニングされている。 広瀬さんからは、ランニングのいろはを教わった。 札幌ロードレースに初めて遠征したときにも コース中に声援をいただいたのが忘れられない。
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吉田さんは、元、札幌交響楽団のホルン奏者をされていてなおかつ、スイスの郷土古楽器、アルプホルンの名手でもあります。 そして私の、アルプホルン師匠です。
倶知安町とニセコ町でアルプホルンの振興と育成のため、町でスイス製の楽器を購入、この辺のペンション村「ポテト共和国」の5名のオーナー達が、「アルプホルン狂奏隊」を立ち上げ、吉田さんについて、アルプホルンの一から手ほどきを受けたのです。
実はこのメンバー、私も含めて、できる楽器はほぼアルプホルンだけ、という いい加減な弟子達で、幾度も札幌から通ってくる師匠をさんざん悩ませたことか・・・・
吉田充さんは、音楽の素人集団 アルプホルン狂奏隊に2年間以上もプライベートで レッスンをつけてくださいました。 まことに、ありがとうございました。

吉田さんは、札幌「野鳥の会」のメンバーでもあって 最初は、ポテト共和国で行われた観鳥会や、自然観察のフィールドツアーに参加されて知り合うことが出来ました。
大柄な体格で、トライアスロンに出たり、1週間の断食をしたり、えげつない人やな という評判でしたが、チセヌプリの頂上までアルプホルンを担ぎ上げ、空を漂うようなアルプホルンの音を聞いて、見る目が変わったのを思い出します。
吉田さんも、ポテト共和国のヘビー ゲストでありながら アカデミックに私たちを育ててくれた恩人です、
わたしはのちには、個人的にスイスまで行って、自分が吹いている楽器の製造工場を見てきたりもしたり、アルプホルンが育ってきたスイスの山並み風土を確かめてきました。 もう30年以上も、アルプホルンとつきあっています。
初めてポテト共和国のアルプホルンが、TVで紹介されたときは、3分ほどの曲が、本当に上手くまとまらず、収録された曲をやきもきして聞いていました。200年以上昔の古楽器で 倍音しか出ないため 普通の曲を吹こうとしても、だせない音があるのです そのため普段演奏するのは スイスで昔から伝わるアルプ地方の曲がメインになります。
2年目からは、地元のイベントで、観光方面では 山開きの音楽 式典のオープニングとか いろんな演奏依頼が舞い込み ホールで 駅で 山の中でと 演奏場所は、いろいろ。 札幌の赤煉瓦道庁、函館公会堂








みんな、ゆったりとした曲調なので、何曲か違う曲を吹いても、みな同じ曲に聞こえてしまいます。 1曲目は、静かに集中して聞いてもらっても、だんだんそわそわして聴衆がいなくなってしまうという 屈辱的なこともしばしばありました。
当時、この辺のペンション村「ポテト共和国」では、12軒ほどのペンションが 連携して本州の高校生の修学旅行を受けていましたが、その出発の時に 旅の幸運を祈る曲といった感じで アルプホルンの合奏をつとめました。 これには、学校さんもビックリ、そのうちにポテト共和国の伝統みたいなものになり、旅行代理店からも よくリクエストされました。
楽器を飛行機に乗せて 一番大きなイベントとしては、全国僻地の水力発電のイベントで 東京の幕張メッセに呼んでいただき演奏したことがあります。
個人的に、一番遠くに行ったのは、シンガポール。 北海道シンガポール事務所がコンベンションホールで開かれた旅行博覧会に出店したおりに、会場に北国の音を響かせました。
10年ほど前、吉田さんがリタイアした頃も、ニセコにアルプホルンを教えに来られたことがあります。
私は、今でも、ミルキーハウスの「早朝の牧場ツアー」を担当、ツアーの中で、森のコンサートホールでアルプホルンを吹奏しています。

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ミルキーハウスでは、開業の頃から ペット連れの宿泊は、不都合が無い限り 柔軟に受け入れきました。 いまでも、ペット連れ可能の5室に限って 本館は、小型から中型犬に限って、別館コテッジでは、大型犬も受け入れています。

次の投稿は、帯広のアニマルファミリーの菊池さんからの投稿です。 2002年3月時点
菊池さんは、猫が2匹と オームが1羽で、わんちゃんが多いペット連れの中では、珍しい組み合わせでした。 うちの娘とは、ペットを通じて友だちづきをさせていただき、滞在中はペットと遊んでいました。
毎年、ゴールデンウイークには、ミルキーハウスサンに、猫とオームを連れて遊びに行っています。家族的なサービスに感激! オーナーの作る料理に舌づつみ、気がつけばもう5年もたっておりました。
毎年、2泊3日だったのが、昨年は、3泊4日も居座っています。
毎回、暖かく迎えてくれるので、私たち家族にとっては、第二のふるさとになりました。 まるで、実家に帰ってきたような、ホッと出来る場所でとても居心地がいいです。
ちなみに昨年は、友達家族が、もう1組増えて、3家族で来ましたが、その友達夫婦もすっかりミルキーさんに惚れ込んで ”また来年も、絶対に来る~” といってたのが、また友達を誘って4家族で、お邪魔する予定 7・8年とこれからまた増えていくのかしら・・・・?

ここまでは、ミルキーハウスのHPの掲示板にあった 菊池さんの書き込みだったんですが、このアニマルファミリーサンの友達の猫が 次の年滞在中に行方不明になってしまったんです。
旅行中、最愛のペットが行方不明になった事ありますか? 猫を連れて散歩中に、はずれて逃げ出してしまって、ずいぶん探したけど、どこに行ったか解らなくなったそうです。 その辺のペンションに何軒も聞き込みました。 写真入りのポスターも作って配ったりしました。

お客さんも、猫を置いて帰れなく、ゴールデンウイークを過ぎても1泊、まだ見つからないのでもう1泊と延泊して、猫を探しまくりました。
そして、ついに見つかったんです。見えなくなった所に一番近いペンションの裏手にある、薪の山の陰に隠れていたんです。 奥さんが名前を呼んだら そ~と顔を出して、ようやく保護されました。いつも家の中にいるのが 山の中の野外なので怖がってブルブル震えてたということです。 ご主人もホッとして、ペットをしっかり抱いてお帰りになりました。
みんながやきもきした ミルキーハウスで一番長い 2日間でした。

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「北を語る会」を主催する 吉岡 潤三さんと気があって、十数年間ミルキーハウスで スキーのツアーを開催してもらっていました。

「僕はね60歳になってからスキーを始めてね、今は、SAJ1級をとってるよ。」 元気な自由人のグループ、みんな高齢者の枠に入るが みんな若い。 酒を酌み交わしては闊達に議論し、ニセコの旅を楽しんでる。
普通のペンションの客層から ちょっと外れた吉岡さんのグループは、札幌の経営者を中心に文化活動を実践してる方とか、NPOをやっている ポジティブかつアグレッシブな高齢者集団といった面々がそろう。
吉岡さんは、経済同友会のメンバーでもあり、大企業のトップの方もよくみえていて紹介を受けました。 こんなメンバーならホテルに行った方がいいんじゃと思うんですが、ペンションのアットホームな雰囲気を気に入っていただきました。 60代でも じっとしない男女が、ニセコに集まり、山を滑りまわる。こんなグループならホテルよりも、ペンションの方がよく似合う。
ミルキーハウスで集まるのを楽しんでいただきました。
食事のテーブルでは、毎回デザートを出すタイミングもなく 闊達な飲み会に突入してしまう。
大体にして、話の内容は、専門過ぎてちょっと解らないですが、みんな自信家で 話が収まることがありません。

この飲み会では毎回、普通には飲めない珍しい酒が持ち寄られて、かなりの酒が飲みかけで放置されたりするのが常でした。この置き土産が、スタッフみんなの楽しみなのでした。 中国酒のおもしろい容器、珍しいアルメニアのブランデー、新潟の大吟醸、、、

以前は、この「北を語る会」の予約にぶつけて 音楽のライブ・コンサート、写真館のスライドコンサート、など文化的なイベントをぶつけたりしましたが、みんな夕食から、しこたまアルコールが入りすぎて 夜9時からの催しの途中でみんな居眠りしかけたりして さんざんでした。
スキーが得意の 札幌駐在ロシア領事も この会のゲストメンバーでお越しになったこが何回かあります。 夕食に出した当館のメインディシュ、ビーフストロガノフに、ロシア語で ochen' vkusno(おいしい)と いってもらいました。
吉岡家では正月に親族で集合していただきました。公私にわたって応援いただきました。ありがとうございました。
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ミルキーハウスの最大のお客さんの1人は、小樽の小田サンでした。北海道開発局で定年まで過ごしたが、10年に1人出るかの逸材らしく、あらゆる遊びとか、イベントの仕切り役として名を売った人物だったとか。 小田サンを識る人に聞く限り、小田サンの人柄をリスペクトする人、多いです。
ミルキーハウスにお客さんを送客してくれたプロの旅行会社は多いが、アマチュアで、お金を払っていないのに、お客さんをたくさん紹介してくれたヘビーゲストでした。 今でも小田サンに足を向けて寝られません。

オープン当初からのつきあいですが、所属する開発局をはじめとして 同窓会、友人、親戚、スキー、テニスなど、関係するあらゆるジャンルからグループを団体で引っ張ってきてくれた。 そのたびに、素でつきあえる友達を広げてくれた。
お礼を言うと、なんのなんの、連れてきた人がみんな楽しんでれて、「連れてきてくれてありがとうと」、逆に喜ばれてるから・・・との弁。
スキー、温泉、宴会、カラオケの流れが 小田流の定番だった。
宴会には、オードブルが、追加料金で注文されたが、商売を忘れて原価奉仕することもあった。
宴会は2次、3次と続いて、時間は、深夜を越えて翌朝近くまで続いていく。
深夜を過ぎると睡魔が襲い、1人1人と顔ぶれが消えていくが、最後は、オーナーと小田サンでカラオケ合戦になった。
小田サンこそ ニセコの夜の帝王だ。
小田サンとはいろんなエピソートがある。 お客さんの枠を離れても つきあいがいっぱいある。


新春のキュウリ漁:
長万部から八雲方面の噴火湾では、4月にキュウリ魚の大群が、海から川をさかのぼって産卵に帰ってくる。
これを目指して河口で深夜待ち受け、胴付きをつけて腰まで川に入り、ライトに照らされた魚の群れを タモですくいあげ 遡上を始めようとするキュウリ魚を獲っていくのだ。
これは、釣りではなく、キュウリすくいと云われる。 キュウリ魚はチカに似た姿だが、チカより大きく、大きい魚は、サンマぐらいある。不思議と野菜のキュウリの香りがする。
この漁に、小田さんといっしょに行った。小田サンは、持ち前のパワーを 遺憾なく発揮、誰よりも大漁だった。
朝の4時ごろまで、夢中で続け、収穫は1トン以上になっただろうか。 小田サンのギラギラした目と、笑い顔が忘れられない。

冬の羊蹄山スキー
4月に羊蹄山の真狩側から5合目までスキーを担いでのぼり、天候が崩れてきて 登頂をあきらめてスキーで帰ってきたことがある。
しかし、小田サンは、ニセコではいつも熱い男。 何年か後に、冬期山頂より因縁を晴らす、滑降をしてる。私は誘われて恥ずかしながら、断った。
小田サンは、小樽出身で SAJ1級の腕前、ゲレンデに来たときは、いつもバッジをつけていた。スキー連盟の仕事も進んで担当、よく大会の業務などにもかり出されて、スキーとともに育った根っからの北海道ガイといった男の子。 薄着が心配なほどで、冬のニセコで会うときは、Tシャツ姿で現れた。 いつも熱量を感じる人だ。
奥さんの 手芸品の委託販売

小田サンの奥さんは、なんと手芸大好きクリエイターで フリーマーケットで常々出品してたぐらい。 ミルキーハウスでも土産物売り場には、奥さんのいろんな手作りの作品が並んでた。 シーズン前にどっと入荷して、レアーな作品は引っ張りだこ。 有名なミルキーの牛関連の土産物もここからでた。

アイアンマン(鉄人)の激闘
1990年代、ポテト共和国では、アンヌプリスキー場とタイアップして「春のスキーカーニバル」をやってた。この中で争われたのが「ニセコ・アイアンマンレース」
ミルキーハウスから小田サンが代表として参戦した。 3年ほど行われた。ゴンドラ終点からアンヌプリ山頂までスキーを担いで登り、北壁を滑降、五色温泉・露天風呂に入浴し、見返り坂の尾根を滑降して、アンヌプリスキー場までのタイムを競う。 ここで小田サンは、1位のロッジ山麓と競い合い惜しくも2位でゴール。 しかし、途中で小田サンが、負傷したので救急体制を取るようにと云う 業務連絡が入り、スキー場スタッフは慌て救急車も待ち受けるなか、元気な小田サンがゴールに滑り込んできて スタッフ一同 ”不死身の小田”のどよめきが・・・・ これは、スタッフがトランシパー連絡の聞き間違えで、小田サンが露天風呂で缶ビールを開けるときに、指を切って血が出たのが大きく伝わった、という事だと解って 笑い話となった。

RE. まいど、お晩です🎵突然のメッセージ、有難うございます🎵♪ヽ(´▽`)/
読んでいると、ミルキーで青春してた35年間程の懐かしい思い出が甦ってきました( ノД`)…(。´Д⊂)
スキーは、1級持っていません、積丹岳の滑降レースとか、小樽市内の大回転の競技会の草レースに出ていただけです( v^-゜)♪
小樽スキー連盟には、アルペン部に所属してましたので、ネームプレートを付けてはいました🎵旗門審判員の資格を取って、現在も大会の役員として活動しています 当時、開発局の同窓の先輩から、当時、25歳の頃に、もうスキー競技やってもそれ以上上手くならないから、連盟に入ってスキー大会を手伝いなさいと言われて、もはや40年になりました
痛い思い出が、有ります
1月の初旬の、土曜日にミルキーの地下の従業員部屋に泊まりに行って、真夜中の第一リフトの壁の橇滑りで、お客さん女子二人と3人で、滑って右足でブレーキを掛けたら、右膝の靭帯を伸ばしてしまい、そのシーズンのスキー大会と、深雪のベストシーズンを棒にふってしまったことです(^^)
あと、毎週土曜日に、西尾さんに電話して、地下の従業員部屋に、差し入れのウイスキー持って泊まりに行って、9時頃に着いて暖炉前で騒いでいて、翌朝朝食の用意を手伝っていたら、常連客にスタッフと間違えられたり、たまたま、クリスマスにミルキーに、泊まったときに、小田宛のクリスマスカードが届いてビックリしたこともありました🎵 私の青春は、ミルキーハウスの西尾さんやスタッフが居てこその物だと思って、感謝しています🎵
あと、西尾さんが、稚内での交通事故で、頭蓋骨陥没で旭川の赤十字病院に入院して1週間程経ったときに、私が大雪山黒岳の夏スキーの帰りに見舞いに行って、たしかお菓子のビスコを食べていて、声を掛けたら、わざと記憶をなくしたふりをして誰だろう?云いながら、最後に西尾さんから、小田さんという人は、知らないって、こちらが名乗らないのに名前を言ったので、茶化されたのだと思って、逆に安心した思い出もありましたね~(⌒‐⌒)
夜の帝王、感謝感激です🎵♪ヽ(´▽`)/

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ミルキーハウスのヘビーゲストの1人は、黒松内に住みついた宮川さん
だ。
うちでは、何回も結婚式を開いてもらったことがある。 しかし一番印象的な結婚式が
宮川さんの ライダーハウスで行われた結婚式だった。
後で知ったことだが、「北海道に移住」というメンバーで集まって、何回かイベント
で泊まったらしい。
オーナーも大阪から移住して40年以上たったけれども、同じ北海道への移住
仲間でもある。

後で納得したが、コネクションづくりの達人。彼のすごさを知ったのが、う
ちのテニスコートで行われた 結婚式だ。
うちのテニスコートは、開業して5年目ぐらいに、66号線に面した原野にポ
ッンと造られたのだが、その敷地にライダーハウスをオープン、6年間ほど営
業した時期がある。
当時は、ミツバチ族が夏の北海道を走りまくって、バイクで北海道を旅する
若い人がたくさんいた。ミツバチ族とは、お金がない10代~20代のバイクのラ
イダー達で、ミツバチみたいに”ブンブン”音がするからつけられた、基本的
に、貧乏な北海道の旅人達。
北海道の地方の自治体や、食堂、バイク愛好者が好意で、無料または500円
ぐらいで泊まれるようにした好意の宿。 ある所は、食堂の2階だったり、駅
の横に簡易宿舎を夏季限定で開設して泊まれるようになっていた。
ミルキーハウスのスタッフにもバイクで北海道を廻る者がいたり、お客さん
もライダーの方が増えてきたりで 自然と別館で、ライダーハウスを造ろう
か? という気分になってきたのだ。
中古のスーパーハウスを買って,手作りでライダーハウスを3ヶ月ぐらいで作
り上げた。 全部で50万円ぐらいで出来たように思う。出来るだけそれまで貯
まった廃材を利用して安上がりにあげた。 広いベランダが売りで、そこから
はニセコ高原の景観が素晴らしい。まさにパノラマで写真を撮りたい気持ちに
なる。 施設名は、「パノラマ・ライダーハウス」と命名。
風呂は無いが、ミルキーハウス本館の風呂に入ればいい。トイレは、レンタ
ルの簡易スタイル。 灯油ストーブも完備し、10月末の施設撤収の頃間もポッ
カポッカに暖かい。 おまけにBGMとかいろんなラジオも聞ける、有線放送・
550chまで引いた。
周辺の25Km 圏内に 立て看板(あと何キロ、矢印というもの)も、15
カ所分ほど 道路端に設置した。
頑張った甲斐があって7月にオープンできた。
1年目が、200名ぐらいの利用だったが、3年目には、1000名にも伸びた。 1泊が、1名¥500だったので
たいした金額にならなかったけれど、バイク、自転車の旅行者には、愛された。
外国人の旅行者がよく持っている ロンリープラネット(貧乏旅行の英語版
旅行誌)の北海道版にも掲載されていたのには ビックリした。

常連の宮川君から、僕の結婚式を この「パノラマ・ライダーハウス」で
ひらけませんか? とのお願いを戴いたのだった。
セルフビルドの掘っ立て小屋をなんで結婚式の場所にするのよ? という申
し出は実に意外だった。 しかし、ふと胸に響くものがあった。 そして、出
来るだけ協力しようと承諾した。
うちのライダーハウスの立地環境、とくにニセコ高原を一望できる眺望は、
自慢のものだった。電線もなく看板もなく 遮られものが無い。 尻別川を越
して遠く、昆布岳まで一望できる。 こんな北海道的な景観に注目して、自分
の結婚式場と結びつけた 宮川君の着想が嬉しかった。 おなじ、北海道移住
組として、好みが合ったのに惚れて、出来るだけのことをしてあげたいと思っ
たのだ。
後で知った事だけど、結婚式には、「焼き肉パーティーに招待するよ」と、
参加者への約束もあったらしく、なんと60名の焼き肉パーティーが始まっ
た。 天気も好天に恵まれ盛り上がりを見せる挙式に、 テニスコート横の自
宅にいた私の家族らも、何が始まったんだ? と、かなりびっくりしたとの事
だった。 こんな派手な結婚式が行われるとは知らず、宮川君の企画力には、
ただただビックリした。

わたしも、式の初めにアルプホルンを演奏したり、ペンションからゲームの
賞品に協力したりした。
宮川君夫妻は、今後の幸運を祈ったが、一番嬉しかったのが ミルキーハウスのセルフビルドの
ライダーハウスの歴史に 一番晴れがましい一日を与えてくれたことだった。


宮川 哲治くんからのコメント…
2020年9月21日
上・恥ずかしい写真(笑)。ミルキーハウスと私③最終回。
こうして、何度もミルキーさんに伺い、(勝手に)親交を深めたと思っていた
私。二人の夢だったガーデン披露パーティーをミルキーさんのライダーハウス
周辺で行いたいとお願いに行きました。オーナーさんは快諾。(ただのお客と
して、だったかも知れない)
二人ですべて企画し、97年、お盆休みに合わせて開催。ニセコのコネクショ
ンをフル活用し、現ニセコ町長の片山さんに頼み、テーブルやイスをお借り
し、(運搬トラックもかな?)ドラム缶コンロはどこから借りたっけ?【実
は、ミルキーハウスが持ってた】 地元の酒屋(神林酒店)から生ビールなど
を注文(かなり頼んだ、帰りにワインもらった)。
司会、運営お手伝いに北海道移住の仲間を、オープニングにオーナーのアルプ
ホルン演奏してもらい、途中、ゲームなどもやりながら、総勢60名くらいだ
ったかな、12時間近く飲み食いしました。
私の元会社の同僚や、大学の同期も旅費高いのに来てくれました。宿泊は、
ミルキーさんや周辺のペンション、ライダーハウス、その前の敷地とテニスコ
ート内に持参テントという感じでした。
翌日、すぐ隣のオーナー家族の家にご挨拶に行くと一番下の息子さんが、
「どこ行くの?」って聞くので札幌あたり、と答えると「いーなー、行きたい
なー、と駄々をこねている姿が印象的でした。自営業の子供はこういう思いを
するんだ、と(その後のわが子にも同じ思いをさせることに)。
2000年、こんなにお世話になったニセコではなく、さらに南下して黒松内に
定住しましたが、ミルキーさんとは全道フットパスのイベントで隣のペンショ
ンに宿泊した際に、再会。夜、ミルキーさんの厨房で呑み語らいました(2010
年ごろかな?)。
先月、ミルキーハウスオーナーが会いに来てくれた時に、「どういう経緯で、
パーティーやったんやたっけ?」と聞かれたので今回思い出を振り返る意味も
かねて記事にしてみました。ん? そういう聞き方するのは、やはりただのお
客の一人だったということ?いいんです、これも大切なご縁。
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温泉ストリーム
玄関に入ってくるなり、「ぼくは、温泉大好きでね、、、トルコではね、温泉大使といわれてたよ、滞在中いろんな温泉連れてってくれよ!」スキーシーズンひどい吹雪のなか到着のおじさん、元外務相の大使だった、「滑るより、温泉連れてけ~」 っていわれて すごい、存在感あった。
毎晩温泉ツアーに行って毎晩、違った温泉を楽しんでおられた。
私自身は、そんなに好きではなかったが、ニセコでミルキーハウスを建築している間は、温泉に通っていて、タオルも湯の花で茶色く染まっていた。 ニセコは、いで湯のふるさと。その頃は 露天風呂がほとんど混浴だったこともあり、混浴のドラマもよく承知していた。
独身の男性客に、混浴という一言でどんだけの衝撃を与えられるのかも よくわかっていた。
ミルキーハウスでは、夕食後に送迎車で夜ごとに違う温泉に送迎する、温泉ツアーを、30年以上続けてきている。初めは、”温泉”とか切り出すだけで 女の子には嫌がられたりしたが、日本中、温泉ブームが広がり 秘湯ブームも聞こえてきた。
温泉ツアーが始まって、ひなびた、それこそ寂れて潰れそうな古い温泉にお客さんを連れて行くと、大変喜ばれたことに気をよくしていた。
「じつはもっと凄いとこがありますよ・・・」とか何とか、地元の人は、行かないような、終わりかけの温泉を案内した。
だいたい、そんなとこは、決まって谷底にある倒れかけの建物で、ひどい寂しい道を辿っていく。地元の人は行かないはずだ、ぬかるみにはまって、脱出出来ないかもしれない。雨の日や、除雪が不安な冬場なんかには、かなり危険かも。 しかし、都会の人は、そんなとこが大好き。 常連さんと昔話をするたびに、ありえなかった体験が話題に飛び出してくる。
この温泉 薬師温泉といって、うちが20~30年前よくツアーに行ったときには、四国の愛媛出身の 佐伯サンが湯守をしていた。北海道に来たとき、札幌で八卦を見てもらったところ あなたは、北海道で温泉をするだろうといわれたという。ニセコにきて、温泉が売りに出てたのを聞き、迷わず買い取って湯守をしてるとのことだ。元エンジニアで自家発電の施設を造った。谷川の水で自家発電し、電球をともしていた。食事もほぼ自給自足で、川でイワナ、ニジマスを釣って山菜料理を売り物にしてるとのこと。水は、温泉のお湯と 川の水を台所に引いて流しっぱなしになっていた。
風呂は、混浴でだけなので 男女入れ替わりに入った。待ち時間の間、炉部談義が始まる。 おじいさんから昔話を聞いた。薬師の湯は、ぬるかったが、知らないうちに暖まって冷めにくい。 泡が泉源から上がってきて体にまつわった。
あるときは、夜10時過ぎに お客さんに、今から五色温泉に行こうとか呼びかけて ジープを連ねて五色温泉の露天風呂に行くときもあった。
昔からニセコの露天風呂の代名詞みたいなところで、未だに自炊棟などがあり 伝統がいきずいている
温泉に到着するまで30分ほども 曲がりくねる山道を辿っていく。 途中、聖夜ならニセコ高原を一望に眺められる絶景ポイントもある。
途中で、キツネに出会ったり、吹雪でスタックしたりのドラマチックな思い出が多いニセコの聖地だ。
五色の湯は、きつい硫黄のにおいがして ニセコの自然に体を染めるような感があった。
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1980年に開業した ペンションミルキーハウス。年を越しての夏場、うまいことに 女性週刊誌 ノンノの取材を受けて
モテモテの経営に?
若い女性といえば、飛行機の客室乗務員さんも、平日に連泊で来られるので この相手も 楽しいけど大変。その頃は、車なしでのお越しが多かったので 日中は車であっちこっち、1DAYツアーばっかりやっていた。 おかげで、口コミでさらにりピーターが増えて、スチュワーデスさんの定宿みたいになってきた。
スチュワーデスさんの国際線勤務の話に着想を得て、冬のミルキーハウスの北周り南周りを競う「国際線ごっこ」が誕生。本館の周りを10周するリレーで、途中で吹雪(雪玉がぶつけられる)があったり、落とし穴や、雪壁を越えていかなければならない。
また、2階の窓からフワフワ新雪に向けて 頭から突っ込んでいく「雪中ジャンプ大会」 深夜のゲレンデの壁を大型プラスティックそりでグループで滑り降りてくる「決死のボススレー」が、酔った勢いで人気が高かった。しかし、これで脚を壊したお客さんが立て次いだために封じ手となってしまった。





夏期の間これがあってこそ最初の2年間を乗り切れたというのが、「きもだめし大会」
1980年代のニセコは、冬期でこそ札幌圏からたくさんのお客さんが来られていたが、夏期になると 山菜採り、ハイキング、登山、温泉ぐらいで、特に若い都会人が、楽しめるようなアクティビティー、施設が見当たらなかった。
しかし近くの山の中に廃墟のようにうち捨てられたホテルなんかが、逆点のインスピレーションを与えてくれた。 虫の死体、蜘蛛の巣、雑草とツルに覆われたコンクリートの塊、ガラスの破片、散らばった書類、夜は深い闇や、不気味な夜霧が漂よう。 何かが起こりそうな、ミステリアスな気分が湧いてくる。
こんな所でやってみた「きもだめし」が絶賛を呼んだ。 何回かやるうちに口コミで広がり 2年目には、会社を相手とする大きなツアー商品にもなっていった。日本航空の支店から貸し切りの予約が入り 日航千歳支店、40人のきもだめし大会につながった。


カップルに好評、女性客にはスタッフが彼氏役を務めて抱きつかれては満足された。スタッフは、脅かし役もあり大変だったが、実におもしろかった。
申し訳ないが、怖さの余り、泣き崩れる女の子もたくさんでた。全員が終わるのに深夜までかかる時もあった。
たくさんのお客さんの心を動かせた。
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オーナーが遊びに行ったついでに東京で、出版社にプロモーション。
当時アンノン族が、カルチャーになってたが、原村や清里高原に特集を組んでた、ノンノ編集部に突撃。その成果で急きょ NON NOの取材が決定!
北国のポテト共和国 ということで集英社の女性雑誌 NON NO 1982年 8月号に 6ページにわたって紹介された。


ニセコ連峰をバックに、イモ畑でイモ料理を並べてピクニック といった設定で、見開きページを構成。農村リゾート、札幌のノンノ駐在員を使って積丹から羊蹄山麓の名所巡りなど、新しい切り口による ニセコの紹介に興奮した。


反響は大きく、ミルキーハウスに 都会からの若い女性客が急増して、最初はアルバイトさんらとうれしい悲鳴。
しかし、夏を過ぎても勢いが途絶えず、徐々に毎晩のお相手が大変になってきた。バス停で降りた女の子が、旅行カバンを引いてウキウキ ミルキーハウスに向かってくる。どうしよう また寝られない、頑張って盛り上げなくちゃならない、、、


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北海道大学とニセコのつながりは、深い。 北大の山スキー部は、五色温泉の自炊棟で合宿して2~3週間山ごもりしてた伝統があり、山好きな教員や、教授達は、頻繁にニセコ通いしていた。
中には、グループで山の家(別荘)を山麓に所有する猛者がいたり、学校が休みになる1月、2月は、仲間で山小屋に泊まりに来る先生達も多かった。
厳冬期の平日は、暇な日が多かったので 連泊で来られるお客様は、大歓迎した。食事も念を入れて、薪ストーブもふんだんに燃やして 歓待した。
長い学校の冬休みを使って 余裕を持ってスキーを楽しむのが,学職関係者の特権。カード遊びに誘われ、毎晩、降りしきる雪の夜遅くまで 熱く過ごしたりしました。
その中でも 北大出身、野幌にある酪農学園の三田先生のゼミ合宿は、群を抜くメチャクチャさだった。当時のミルキーハウスのマネージャーが、先生のゼミの出身だということもあって ゼミの卒業旅行がミルキーハウスで行われた。夜の飲み会の中で、宿泊客に向かって各自、卒論の発表会をするという 学生にとっては、ちょっと荒行かもしれないこの試練。
三田先生がお元気なときから 十数年ほど続いた。
先生は、酒には、めっぽう強くて毎晩、若々しく燃え上がっていた。同宿の、可愛い女性の客さんに声をかけて 農業について、学校について、果てや人生、青春そして、先生がいつも「永遠のテーマである・・・」男女の問題について 深夜おそくまで議論が、繰り広げられた。時には、野外に飛び出したりもし 雪の中を走り回ったり大騒ぎしてた。
オーナーも、送迎バスを野幌まで出して 生徒が安上がりに来られるように頑張っていた。
ニセコの町まで来て、途中下車をして、酒やつまみの買い物をするんだが、先生の言うには、「出来るだけ 小さな地元の店で止めてくれ、地域の助けになれるから、、、」なんと優しい先生だ。先生は、たたき上げの共産党支持者だった。
飲み会で、ごたごたになるにつれ、きれいなお姉さんや、東京から来た若い女子大学生に言葉をかけて、お酒を楽しんで 翌朝は、ゲレンデでデートしてた。
やりたい放題の バイタリティーに満ちた教授 今はもういない。

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ミルキーハウスの正式名はカントリー イン ミルキーハウスだが、40年前1980年12月にオープンした時は、 ペンション ミルキーハウスだった。 初めての冬を抜けて春を迎えた。 オーナーは、お客さんの写真を整理しながら、今年はどんなことをやろうかと考えていた。
P.ミルキーハウスは、初めての春、今年はこんなことをやるよ、、、、
- 1 ピークで夜明けを
ニセコアンヌプリ夜間登山 - 2 のんびり気分で
ニセコ沼巡りハイキング - 3 エゾ富士巡り
半月湖・羊蹄山登山 - 4 ニセコ最後の秘境
アンヌプリ幻の滝を探してツアー - 5 ニセコの牧場ツアー
- 6 ニセコ最古の湯元を訪ねて
- 7 星が落ちてきそう
- 8 いざ日本海へ
- 9 この夏最大の恐怖
- 10 ニセコ名物ファイアーを囲んで
この頃からの常連さんは、友達づきあい はては 親戚づきあいみたいに、賀状をやりとりしている。その中でもヘビーユーザーというか存在感が桁違いな お客さんたちいる。今でも 巡り会いに感謝するKINGS OF GUEST達だ。
- King of Guest
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プロフィール
Author:milky240
北国の風土溢れるウッディーなつくり、北海道No1ペンション カントリー インミルキーハウスのblog。ただ泊まるだけじゃおもしろくない、田舎暮らしと、北海道のBIGなアウトドアーを体験できる、リゾートメニューをいろいろ提案しています。早朝の 「牧場ツアー」では、牧場見学・森のコンサートホールでアルプホルンのミニ・コンサート,野草のフラワーウオッチングなど、ニセコの旬の楽しみを案内いたします。
最近の記事
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